米沢住YONEZAWA-JYU

地域の中に飛び込んでできた
心強い味方

暮らしのーと
地域の中に飛び込んでできた<br />
心強い味方
13.
Yuta
Kobayashi

小林 雄太 さん

小林 雄太 さん
宮城県利府町出身
30代

「アット☆ストリート」が、人と触れ合う楽しさを教えてくれました

山形大学工学部へ進学するため、宮城県から移住した小林さん。卒業後は仙台市の会社に4年ほど勤め、2023年2月に再び米沢へ移住。現在はホテルモントビュー米沢の料飲部門で、宴会やレストランのお仕事をしています。

「商店街での関わりが忘れられず、やっぱり米沢に戻りたいなと思いました」


山形大学の学生地域活動サークル『アット☆ストリート』に、友人の誘いで入った雄太さん。米沢市内にある、「粡町(あらまち)商店街」でのイベント・祭りの手伝いや、自らもイベント企画・運営に携わっていました。
「あの頃、サークル以外の相談も乗ってもらったり、ご飯を食べに行ったり。自転車がパンクしたときには直接持って行き助けてもらったりと、何かと理由をつけて商店街に行っていました」と、商店街での思い出を語ります。新入生が入らず、サークル存続の危機に落ち込んでいると、『考えてても仕方ない、やれることやっぺ!』と喝を入れてもらったそう。
「商店街の方々は、学生と同じ目線に立ち、対等に向き合ってくれる心強い味方です」

ある日、雄太さんが4年ぶりに米沢へ戻り商店街を訪れたとき、「おう!小林じゃねぇか!どうしたんだ?」と声をかけられました。4年が経っても覚えていてくれて、すぐに声をかけてくれたことが何より嬉しかったと言います。「今でも営業の合間に話をしに行ったり、休日にラーメンを食べに行ったりしています」

「7月にある戎神社のお祭りに遊びに行ったときには、『ビールの売り子が足りないから手伝って欲しい』とお願いをされ、お手伝いをしました。商店街の方々とは、今も昔もお互いに気兼ねなく頼りあえる関係です」

学生の頃とは違った目線で、米沢を楽しむ

米沢に戻るなら「ホテルモントビュー米沢」への就職しか考えていなかったという雄太さん。モントビュー米沢でアルバイトをしていた学生時代からこの仕事の楽しさを知っていたことと、「向いている」と上司に言われたこともあり、ここなら活躍できると感じたそう。「責任の重さや仕事の量に辛いなと思うこともありますが、それ以上にお客様の笑顔や感謝の言葉や、仕事の達成感が大きいです」と話します。
また、自身のミスをフォローしてくれ、向き合い育てようとしてくれる環境に身を置けていることも大きいと言います。

「バイトの頃は就活の相談に乗ってもらったり、勉強を教えてもらったこともありました。本当にあたたかい方ばかりです」。今では休日に遊びに連れて行ってもらったり、一緒にご飯を食べに行くこともあると楽しそうに教えてくれました。 


そんな雄太さんには、米沢に戻ってきてやりたいことがあるそうです。「学生時代には知らなかった祭りやお店、米沢の歴史を探しに行きたいです。今は仕事も忙しく難しいですが、もう一度商店街おこしのお手伝いができたらと考えています」

「米沢は、気が付いたらコミュニティの一員になっているようなあたたかさがあります。連鎖的に仲良くなれるような、一言でいうと、自分の行きつけのお店に行くような感覚ですね」

学生の頃から自分の目で見て実際に関わり、米沢を肌で感じてきた小林さんの言葉には、人の繋がりの尊さが滲んでいるように感じました。
移住は、何か明確な理由や目的がなくても、そこにいる人たちが好きだから、そのまちにいると安心するから、というだけで十分なこともある。
そう思わせてくれる雄太さんは、沢山の思い出と一緒に、前へと進みます。

暮らしのーとは、米沢のいろんな暮らしを集めています。あなたの叶えたい暮らし、理想の米沢ライフについて、ぜひ米沢市の移住相談窓口まで教えてください!もしかすると、直接もっと深い話を聞いたり、新たな出会いにつながるかも。

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