米沢住YONEZAWA-JYU

のんびりとした空気を求めて、
10年ぶりに地元へ

暮らしのーと
のんびりとした空気を求めて、<br />
10年ぶりに地元へ
15.
Yukari
Abe

安部 由香利 さん

安部 由香利 さん
山形県米沢市出身
30代

「帰る」選択肢が何度も浮かんでは消えて。ついに踏み出したUターン。

「東京での生活は楽しく、仕事にもやりがいがある。でも、この先もずっとここで暮らすのだろうか——。」
社会人になってから、そんな思いが何度か頭をよぎったという安部由香利さん。

幼少期を米沢の自然の中で過ごし、宮城県の大学へ進学。卒業後は東京へ移り、文京区や杉並区などに住みながら約10年にわたり仕事に没頭する日々を送っていました。都会での暮らしは刺激的で、学ぶことも多かったものの、満員電車や高層ビルに囲まれる環境に次第に疲れを感じるようになっていったといいます。

そのたびに「米沢に帰る」という選択肢が浮かぶものの、仕事や私生活での転機が訪れるたびに「もう少し東京で頑張ってみよう」と思い直し、結局は移住には踏み切れずにいました。

そんな中、2018年頃、会社に相談し、試しに2週間だけ実家でリモートワークをする機会を作ってみました。その後も、コロナ禍以前は2〜3ヶ月に1回のペースで米沢に滞在しながら仕事をするようになり、徐々に地元での生活に慣れていきました。

さらに、米沢で仕事をする際に利用し始めたのが、コワーキングスペース「スタジオ八百萬」。地域の人とゆるやかに関わる場ができたことで、「ただ帰る」のではなく「地元に自分の居場所を作る」という感覚が芽生えていったといいます。

そんな中、2022年の夏休み、伊豆の宿で手にした雑誌の記事が心に響きました。一貫性にとらわれず、自分の気持ちに素直に生きる人のインタビューが掲載されており、その言葉がどこか腑に落ちたのです。

「考えすぎると、いつまでも動けない。直感的に『今かもしれない』と感じたんですよね。」

ただ、現実的な問題もありました。仕事は続けられるのか、車の運転は問題ないか、今後のキャリアはどうなるのか——。考え始めると不安は尽きません。それでも、「ここまで段階的に準備してきたのだから、大きな決断ではなく、流れの一つとしてやってみよう」と思えたのです。

緊急事態宣言が落ち着いたタイミングで、会社と改めて話し合い、2023年に正式にUターンを決意。「慎重に考えながらも、自分の気持ちに素直になってみようと思ったんです」と由香利さんは振り返ります。

移住前から築いた東京と米沢、両方のつながりが安心感に。

現在、由香利さんはリモートワークで人事制度のコンサルティング業務を担当しています。
「空気が澄んでいて、人口密度が低い環境は、心が落ち着きますね。満員電車の圧迫感がないし、都会特有の雑然としたにおいを感じることもない。結果として、日々の幸福度が上がりました。」
移住前から米沢に通いながら仕事をしていたこともあり、以前から利用していたコワーキングスペース「スタジオ八百萬」は、由香利さんにとって大切な場所になっていました。「自宅だけで仕事をするのではなく、地域の人と自然につながる場があったのは大きかったですね。」「オーナーの山田さんから紹介いただいたご縁で、移住仲間の女性も多くいらっしゃるコミュニティのご飯会にお誘いいただいたり、この間はコワーキングスペースに集まる方々との餅つきイベントにも参加させていただきました。」

そして、移住を決断する際、最後に背中を押してくれたのは、東京にいる友人の一言でした。「なにかあったら、東京に戻ればいいんじゃない?」その言葉を聞いたとき、ふっと肩の力が抜けたといいます。
「そうか、移住って一生の決断じゃなくてもいいんだ。」
すべてを完璧に決める必要はないし、合わなければまた考え直せばいい。そう思えたことで、Uターンを決意する気持ちが固まりました。
「結局、何が正解かなんて、その時には分からない。でも、実際に暮らしてみたら『こっちのほうが今の自分には合っていた』と思えたんです。」
あの時、一歩踏み出してよかった。
そう実感しながら、今日ものびのびとした空気の中で暮らしています。

暮らしのーとは、米沢のいろんな暮らしを集めています。あなたの叶えたい暮らし、理想の米沢ライフについて、ぜひ米沢市の移住相談窓口まで教えてください!もしかすると、直接もっと深い話を聞いたり、新たな出会いにつながるかも。

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