人生の師匠がいる米沢で
りんご百本を育てる
Oka
Yoshimasa
岡 義将 さん
埼玉県富士見市出身
20代
成長を実感する仕事
義将さんは、埼玉県からの移住者で、2019年に大学を卒業した後、米沢で農業のキャリアをスタートしました。「百姓は、漢字で “百の姓(=仕事)を持つ” と書くように、土壌改良、機械修理、大工、流通・販売まで、幅広い職種にわたる知識と技能が求められます。いろんな知識や技能が身に付いて、やりがいのある仕事なんですよ。」と、義将さんは元気に語ります。
移住のきっかけは、大学時代に米沢で出会った『自然栽培を行い、商品開発や流通まで行う若手農家さん』との出会いでした。美味しい作物を生産しながらビジネスを築く姿に刺激を受け、この農家さんを「人生の師匠にしたい」と思った義将さんは農家を志すことを決めました。
農家1年目は、そばの栽培と他の農家のお手伝いから始めました。農業の収入だけで生計を立てることの厳しさに直面しながらも「美味しいものを作って生計が立てられるようになりたいです」と前向きな姿勢で挑みます。4年目からは米沢のご高齢の農家さんからりんごの木100本を事業継承し、りんご農家を始めました。「3年間の農業経験を通じて、作物と自分の性格との相性を感じました。りんごは何十年も同じ木と付き合っていくため、木の成長を予想してどう手を加えるか?を考えるのが面白く、自分の性格に合っていると感じています。」
お金はなかったけど、ご縁はありました
「周りの人たちの応援があって、今の自分がいます」と話す義将さん。米沢に根ざした助け合いの精神は、雪国という土地柄も関係しているのではないかと考えます。「自分だけの力ではどうしようもないことに直面したことがある人は、苦労を知っている分、人にも優しくなれるのではないか」という考えに至ったそうです。「雪国で生きる農家さんたちから、人間として大切なことを学んでいる気がします。」
農家としての起業には、土地の取得や初期費用の調達、そして軌道に乗らずに失業するリスクも伴います。「大学卒業後すぐの起業で、初期投資には100万円もかけることができませんでしたが、米沢の農家さんたちから道具や車をお借りしてスタートすることができました。」「応援してくれた人たちに成長した姿をお見せしたい、という気持ちで頑張りたいと思っています。」
義将さんは、山形に移住した農家たちで結成した「山形ノーカーズ」というグループで、マルシェやイベント出店などの活動をしています。米沢でのお気に入りの過ごし方は、仕事が終わった後に天然温泉に入ることだそうです。天然温泉が、市内から車で15分ほどの位置にある米沢ならではのリフレッシュ方法を実践しています。ご縁を大切にしている義将さんの周りでは、さらに面白いことが広がりそうです。
暮らしのーとは、米沢のいろんな暮らしを集めています。あなたの叶えたい暮らし、理想の米沢ライフについて、ぜひ米沢市の移住相談窓口まで教えてください!もしかすると、直接もっと深い話を聞いたり、新たな出会いにつながるかも。