多摩美から、山形の繊維産業で
テキスタイルブランドを立ち上げる
Saito Miki
Suzuki Kentaro
Taniyama Norika
「地域に根付く伝統産業が、今も輝き、未来に繋がる発信を。」そんな志で活動を行うチームに出会うと心が躍ります。国内外のアパレルブランドへ向けた生地を手がける山形県の米沢産地では、こうした動きが始まっています。
江戸時代から続く伝統産業「米沢織」に新しい価値を見出し、発信しているテキスタイルブランド『株式会社nitorito(ニトリト)』は、神奈川県出身で多摩美術大学の生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻を卒業した斎藤美綺(以下、斎藤)さんと、米沢織の老舗企業で約25年間働いてきた鈴木健太郎(以下、鈴木)さんにより、2019年に設立されました。
地域外から来た人々が地元の人々と共に活動し、シナジーを生み出す動きが増えると、地方の伝統産業に新たな可能性が広がると感じています。しかし、地元採用が主だった企業が採用地域を広げたり、新卒デザイナーを採用するなどの新たな挑戦にはリスクが伴うため、こうした動きがなかなか進まないのも事実です。今回は、『nitorito』が生まれるまでの道のりをお聞きし、『移住者と新たなシナジーを生み出す地方企業との出会い方』について考えます。
ーnitorito(ニトリト)ー
山形県米沢市に拠点を置くテキスタイルブランド。米沢織の伝統技術と現代デザインを融合させたニットストールやテキスタイル商品を提案しています。デザインは神奈川県出身の斎藤さんが手掛けており、移住生活の中で感動した「米沢の自然と文化」をテーマに表現しています。繊維メーカーに勤めていた経験を活かし、機械の特性を発揮したものづくりが出来るため、個性的でありながら実用性を兼ね備えた、肌触りの良いストールが主力商品です。
米沢産地の歴史に、新しい風が入ってくるような可能性を感じました。
— 谷山:斎藤さんは、大学を卒業してから新卒で株式会社nitoritoを起業されたのですか?
— 斎藤:いえ、私は新卒で市内の織物工場「青文テキスタイル株式会社」に就職しました。入社後はOEM事業に携わり、アパレルへ向けた生地の企画提案をしていました。その頃から、自社の技術を具体的に発信するための手段として商品開発に取り組み、「nitorito」というブランド名でOEMを目的とした商品提案をしていました。ですが、入社2年目にアパレルへ向けた発信ではなく、直接消費者へこの素晴らしいものづくりを届けたいと決意し退社。当時の上司だった鈴木と共に「株式会社nitorito」を設立しました。なので、入社前はブランドを立ち上げるなんて思ってもいませんでした。
— 谷山:そうだったのですね。それでは、斎藤さんが米沢と出会ったきっかけをお聞かせください。
— 斎藤:はい、私が米沢と出会ったのは大学4年生の時です。多摩美術大学がある八王子市は「八王子産地」というネクタイの生産地でした。当時2年生だった私は、生産現場を見たことがなく、ものづくりの現場に魅了されました。その後、京都や桐生、西脇など、全国の産地を巡り、米沢産地を知ったのは大学の教授から「東北には長い歴史と面白い生地を作っている産地がある」と教えていただいたことがきっかけでした。
— 谷山:全国の産地を巡る中で、米沢産地にはどのような印象を持ちましたか?
— 斎藤:米沢産地は、米沢織というカテゴリーの中に着物、帯、袴だけでなく洋装用のジャカード織やニット、ブラックフォーマル(礼服)といった、多様なジャンルを一つの地域で生産しています。素材も絹織物だけでなく、綿やウール、再生線維など織り上げてしまいます。これだけの技術が発展してきた背景には、「時代の変化に適応し、新しい技術を積極的に取り入れる地域性」があると感じました。また、私のように他県から来た人でも、ここなら面白がってもらえるのではないかと思いました。さらに、新幹線で東京まで2時間という立地の良さもポイントでした。
当時、米沢産地の企業を調べた際、どの織物会社もWEBサイトがあまり充実していませんでしたが、青文テキスタイル(株)はWEBに生地へのこだわりを綴っていて、その姿勢から、前向きで若い感覚の人たちがいるのではないかと感じ、アポイントをとり見学をさせていただきました。ポートフォリオを持参して自己紹介をしながら互いの理解を深め、その後も東京の米沢織の展示会にも足を運び、交流を深めていきました。
求人情報が出ていなくても、
門をたたいてみる。
— 斎藤:当時、青文テキスタイル(株)は求人を出していなかったのですが、どうしても入社したかったので大学4年の11月に履歴書を送りました。結果は不採用でしたが、諦められず年明けに再度履歴書を送りました。すると、採用試験に合格し、無事に内定をいただくことができました。
— 谷山:なんと!求人が出ていなくても履歴書を送ったのですね。それも2回も(笑)斎藤さんの応募について、当時の社内ではどのように受け止められたのでしょうか?
— 鈴木:今では「移住」という言葉が広まり、他県からの移住が米沢でも認知されていますが、6年前はそのような価値観がまだあまりなく、懸念がありました。特に「豪雪地帯なので、雪が辛くてすぐ辞めてしまうのでは?」という不安が大きく、1回目は不採用としました。
2回目に履歴書を受け取った時も、正直なところ、就職後は大丈夫だろうかと心配でした。しかし、彼女のスキルはポートフォリオから理解していたので、そのバイタリティに可能性を感じ、また田舎の人情もあり、採用試験を行うことにしました。ちょうど会社としても、アパレルメーカーから受注した生地を作るスタイルから、自社で提案できるスタイルへの転換を模索していた時期で、自分たちの常識を超えた人材が新しい風として入社するのは、ぴったりだと考えました。
「採用とは、人生を預かること。」採用が決まった後も、雪の時期に彼女だけでなくお母さんにも米沢に来てもらい、「こんな雪国ですが、大丈夫ですか?」と話しながら一緒に家探しをしたのが懐かしいです。
— 谷山:そのくらい受け入れる側としても、一人を雇うことには慎重になりますよね。
若い人たちの感覚を取り入れて、
文化として成長し続ける産地でありたい。
— 谷山:この仕事をしていて思うのは、よく「人手不足だから、移住者が来て欲しい」と言われますが、人手不足という言葉って「人が足りなくなったら同じことができる人を補充したい」ように聞こえて好きじゃなくて、私じゃなくてもいいよねと思っちゃうんですよね。「その人の個性を活かして、会社がどう面白くなるか?」を考えた採用活動ができれば、会社にとっても、働く人にとっても、地域にとっても幸せなのではないかと考えます。
そういった意味で、斎藤さんの力を信じ、それを引き出した鈴木さんはすごいなと感じています。斎藤さんが米沢へ移住してから、どのように(株)nitoritoが生まれたのでしょうか?
— 斎藤:入社後は、アパレルメーカーに向けた商品開発やデータ作成を担当し、機械操作や生産の流れも学びました。次第に「自分のアイデアを生地にしたい」という気持ちが強まったことと、鈴木が「ファクトリーブランドを立ち上げたい」と話していたこともあり、工場の閑散期を利用して自主制作を進めました。業務で学んだことを活かしながら、職人さんたちとものづくりをすることが楽しくて、夢中で取り組んでいましたね。
— 鈴木:私は当時、新規事業の商品開発を担当してました。ある日、斎藤が自主制作で一枚のストールを見せてくれたんです。このストールは米沢に移住して感じた「月と山の美しさ」がテーマと聞き、大きな衝撃を受けました。
私はこれまで「海外で流行しているデザインを、織物でいかに再現できるか」という姿勢で何百種類もの生地をデザインし、アパレルメーカーに提案してきましたが、採用されるのはほんの一握り。そもそも、国内の繊維産地が下火になっていた事もあり、このままアパレルメーカーのニーズに大きく左右される営業スタイルに疑問を感じていました。そんな時、斎藤の作った一枚のストールを見て、その表現力と発想に新しい販路の可能性を感じました。
最初はアパレルメーカーにも提案しましたが、デザインの個性が強かったため受注に繋がりづらく、悔しい思いをしました。そこで、提案先をアパレルメーカーではなく、直接消費者に届けようと考え、東京の商談会でテスト販売を行ったところ、高い評価を得て「この可能性に賭けよう!」とファクトリーブランドとして「nitorito」を成長させるため、青文テキスタイル(株)を退社し、米沢産地のものづくりにこだわった企画会社として「株式会社nitorito」を設立しました。現在は米沢産地のメーカーに生地を発注し、整理加工、縫製まで一貫した工程でストールを生産しています。
美術大学で学んだことが、
社会で活きるおもしろさ。
— 谷山:社会人2年目でオリジナルブランドを持つ経験ができる人は、美術大学を卒業した方の中でも珍しいのではないかと感じています。「社会で活きる力」という点で、多摩美術大学の在学中に特に学んでよかったことはありますか?
— 斎藤:学生時代、産学協同授業にて八王子産地を知ったように、社会に関わることも重要な学びにつながります。そして、少しでも興味を持ったことや気になることは、実際に行って見る、聞くなど行動してみることが大切だと思います。学生時代はお金もなく、バイトで貯めたお給料で深夜バスで他産地へ足を運んでいましたが、その時にしかできない良い経験になっていると感じています。
そして「学生にしかできないこと」を謳歌するのも大切です。社会人になってしまうと中々工場見学や企業見学がしづらいので学生のうちに、ぜひ!
共に成長できる職場との出会いと
関係性の育て方。
— 谷山:ここまでお話を伺って、斎藤さんと鈴木さんは、とてもいいコンビだと感じます。お二人のようにお互いの専門性を活かして発展を目指せる企業がこれからも地方に増えていくといいなと思っています。企業側や求職者側が心がけることについて、お二人の経験からどう感じていますか?
— 斎藤:どんな就職先との出会いも、第一印象はポジティブから入ります。その後も、いかにお互いがポジティブな関係を保てるかは大切だと思います。
— 鈴木:会社が無理にその人を自分たちの色に染めるのではなく、個性に合った仕事を任せられたことが大きかったと思います。斎藤は個性を発揮するのが得意だったので、それを活かした仕事を任せられるよう意識してきたことが、今に繋がっていると感じています。
— 谷山:私は地域おこし協力隊として市役所で働いていますが、これまで組織内にいなかったタイプの人がチームに加わった際に生じる混乱に、お互いどう向き合うかが重要だと感じています。斎藤さんもこれまでにいないタイプの入社だったと思いますが、居心地の悪さを感じることはありませんでしたか?、、こんなこと聞いてもいいのかな(笑)
— 斎藤:私の場合は、鈴木の心遣いが大きかったですね。私の特性に合わせてデザイン作成の仕事を任せていただき、社内の規則も柔軟に対応していただきました。特にnitoritoの商品開発業務では、売上が少ない時期でも私だけ頻繁に出張する際、鈴木は職人さんたちに数字では見えない努力を説明してくださったり、私がユニフォームを着ていない時も「お客様の前で接客するのでユニフォームは着ないんです」と職人さんたちに説明してくださったりしました。こうした信頼関係があるからこそ、今も続いているのだと思います。
— 斎藤:あとは、やっぱり「実際に会いに行くこと」は大切だと思います。私が就職活動をしていた6年前と比べると、WEBサイトが綺麗でも実際の技術力が伴わない会社も出てきているので、逆に迷うこともあるんじゃないかな。入社後に良い関係を築けるかも含めて、人と人とのマッチングは、実際に会って確かめるのが良いと感じています。
— 鈴木:米沢では、昨年から米沢織をはじめ市内のものづくり企業の職人さんたちから直接話が聞ける「360°よねざわオープンファクトリー」という4000人規模の工場見学イベントを9月に開催しています。普段は見られない工場に入って直接話を聞けたり、米沢のものづくり企業の代表や職人さんたちと知り合いになれる機会でもあります。東京からも2時間で来られるので、ぜひnitoritoのものづくりの現場を見に来てほしいですし、米沢産地を直接見に来てほしいです。米沢に限らず、斎藤のような人材が活躍する面白い産地が増えてほしいと思っていますので、全国のものづくりに情熱を持つ方々とも出会えたら嬉しいですね。
【第2回「360°よねざわオープンファクトリー」開催概要】
日時:2024年9月12日(木)・13日(金)・14日(土)9:00~17:00
*開催時間は、各参加企業によって変動いたします。
会場:参加企業の工房 / 工場にて
参加企業:米沢織物:15社/発酵・醸造:4社/木工製品:4社
参加方法:各企業のプログラム詳細は「360°よねざわオープンファクトリー」公式HPとSNSから随時発信してまいります。
HP: https://www.360yonezawa.com/
Instagram: https://www.instagram.com/360yonezawa/
— 谷山:今日は、お二人のお話を伺い、とても心を動かされました。斎藤さんと鈴木さんが、互いの個性や専門性を尊重し合い、nitoritoというブランドを築き上げてきたことは、これからの地方企業にとって大きなインスピレーションになると感じます。
そして、最近の米沢では、経営者が世代交代して若い方が増えたり、歴史の長さに関係なく柔軟な考えを持つ企業がまだまだあります。求人を出していなくても、素晴らしい人材と出会えば、採用に至る企業も存在します。出会い方や会社のタイミングにもよりますが、気になる企業があれば、求人が出ていなくても一度門をたたいてみると、新しい道が開けるかもしれません。
— 編集長からのひとこと ―
「雪深いけど住めるかな?」という不安も超えてしまう、ものづくりへの熱意を感じるなぁ!nitoritoのお二人の想いを、全国のものづくりに携わる方々にもっと知ってもらいたいですね!
暮らしのーとは、米沢のいろんな暮らしを集めています。あなたの叶えたい暮らし、理想の米沢ライフについて、ぜひ米沢市の移住相談窓口まで教えてください!もしかすると、直接もっと深い話を聞いたり、新たな出会いにつながるかも。